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amassの記事では、5月12日(日)19:00~20:25にエリック・クラプトンの特番が放映される予定です。 <BS日テレ『THE LIVE:エリック・クラプトン 2014年』> 内容は…2014年に出たDVD、Blu-ray『プレーンズ、トレインズ・アンド・エリック~ジャパン・ツアー2014』をそのまま流すだけ。言ってみれば、ヴィデオをお持ちの方は視聴する必要はなく、逆に購入していないファンには必須とも言える番組でしょう。私は同年のツアーは非常に気に入っていたものの、日本以外のライヴ映像が入っているのと、実際に見たコンサートでは演らなかった曲で是非聴きたい曲がなかったのでやり過ごしてしまいました。だから、もしこの特番を見て気に入ったら、DVDを買うかもしれません。ヴィデオをそのまま流すとは言え、実際番組で映されるのは1時間20分にも満たず、“試写”するにはちょうど良いですよね? 思い返すと、2014年の日本ツアーは1曲目が“テル・ザ・トゥルース”(1970年)の日と“プリテンディング”(1989年)の日と2種類用意されていたようです。私が見た大阪城ホールでは後者。前者は3曲目に演奏しました。いずれにせよ、コンサートの幕を開けるのに何か特定の楽器が単独で演奏し、それに続いて他のパートが入ってくる曲は1曲目に向いていると思います。 “テル・ザ・トゥルース”では豪快なギターが合図となり、“プリテンディング”では小粋なピアノがアドリブ風に演奏され、ドラムがそこに割って入ってギター・ソロ、そしてヴォーカルとの構成が素晴らしい。まあ、“プリテンディング”は元々「ジャーニーマン」(1989年)の1曲目でもあり、当初からライヴを想定してアルバム制作に臨んでいた可能性が高いでしょう。 2011年の1曲目はブラインド・フェイスの“泣きたい気持ち”(1969年)。まず、エリックがギター・リフを1回弾いてからスティーヴ・ウィンウッドが同じリフを弾きます。つまり、2回目からはテーマ・フレーズがユニゾン~多分ハーモニーではなかったはず~になる仕掛け。ここでもやはりギターのみでテーマを演奏してからベース・ギターとドラムスが参入します。最初『スティーヴがリフを弾きながら歌うのは難しいかな』と思って見ていましたが、そんなことは全くなく、“ワンダフル・トゥナイト”(1977年)ではエリックが弾くはずのリード・パートまで全て担当しました。スティーヴが同曲でプレイしたのは、アルペジオとオブリガードとソロです。 “プレゼンス・オブ・ザ・ロード”(1969年)は今考えても残念としか言いようがない。エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター以外では、ほぼ全てハモンド・オルガンを弾いていたのに、よりによって同曲でピアノを演奏するとは…。せめてソロだけでもオルガンでエリックとインター・プレイを決めてほしかったです。 1979年、1981年、1985年はいずれも“タルサ・タイム”(1978年)でした。同曲で面白いのは、クリス・ステイントンがイントロの前半部をアドリブ、後半をスタジオ盤に忠実な演奏を心掛けているところ。でもないか…。「バックレス」(1978年)のスタイルは殆ど踏襲していませんね。「ジャスト・ワン・ナイト」(録音:1979年、発表:1980年)を規準(基準?)とし、その前半を日によってクリス・ステイントンが長くしたり、短くしたりしている。エリックがピアノのイントロにスライド・ギターを被せるタイミングもツアーごとに違っていました(笑) そう言えば、1975年の日本公演では1曲目が“いとしのレイラ”でしたが、あれだって最初はギター・リフ1本から始まります。例外なのは“マイ・ファーザーズ・アイズ”(1998年)くらいですか。あの曲もギターがイントロを奏でますが、単独で特定のメロディやリフをプレイするのではありません。あれが1曲目になったのは「ピルグリム」(1998年)の1曲目なので、アルバムを踏襲したのだと思う。 “マイ・ファーザーズ・アイズ”を最初に聴いた時は、驚きました。一聴して機械のドラムとわかるサウンドだし、イントロのギターもそれに合わせた風変わりなトーンです。しかし、スライド・ギターに替わり、エリックの元気の良いヴォーカルが聴けます。E.ギターのスライド・プレイに加え、リゾネイター・ギターのスライドも随所に入り、サウンド・プロダクションに関しては相当練られた跡が感じられますね。しかも、中間部でのソロではギターのスライドとドブロのソロを一緒に演奏しており、ポリドール時代に聴かれたスタジオ・ライヴ、スタジオ・ライヴに必要なパートだけ被せた作り方とは一線を画します。 エリックのヴォーカルを愉しむには、次の“リヴァー・オブ・ティアーズ”ではないですか。ストリングスをバックに控え目なギターを弾きながら、情感豊かなヴォーカルをたっぷりと披露します。機械のドラムはさほど気になりません。リム・ショットに近い音がします~実際のリム・ショットはもっと甲高い音がしますが。何より、スケールの大きな楽曲になっています。ギターとストリングスの調和も見事というしかない。 「ピググリム」の音作りは好き嫌いが分かれるかもしれませんが、少なくともアレンジも練られており、新しいサウンドではあっても、個性までは失ってはいません。しっかりと作り込まれたアルバムが好きな人には容易に受け入れられると思います。   ピルグリム 1,180円 Amazon    最近えんぴつ使った?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう   Ibaraqui, le 2 mai 2019

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●ハル・ブレイン90歳で大往生~アメリカ・ポップス界伝説のドラマー、セッション・ドラマーとしての栄枯盛衰 【Hal Blaine Dies At 90 : Legendary First-Call Drummer】 訃報。·ハル・ブレイン Hal Blaine 西海岸のエリート・スタジオ・ミュージシャン・グループ、スタジオ・セッション・ミュージシャンの集合体、レッキング・クリューのドラマー、カリフォルニア州パーム・デザートの自宅で2019年3月11日自然死。老衰。90歳。 ウェッブ・ヴァラエティー紙より https://goo.gl/K1g5dq Hal Blaine, most honored drummer in rock history, dies at Palm Desert homeBruce Fessier, Palm Springs Desert Sun Published 9:49 p.m. PT March 11, 2019 https://www.desertsun.com/story/life/entertainment/music/2019/03/11/most-honored-drummer-rock-history-dies-palm-desert-90/3137147002/ Hal Blaine, prolific ‘Wrecking Crew’ drummer who worked with Frank Sinatra and Elvis, dies at 90By RANDY LEWISMAR 11, 2019 | 11:50 PMhttps://www.latimes.com/entertainment/music/la-et-ms-hal-blaine-obituary-drums-wrecking-crew-20190311-story.html Hal Blaine, Wrecking Crew Drummer, Dies at 903/11/2019 by Associated Presshttps://www.billboard.com/articles/news/8502133/hal-blaine-wrecking-crew-member-dies-at-90 参加シングル6千枚、楽曲3万5千曲以上と言われる。 ワシントン・ポスト紙訃報→https://goo.gl/nK5vXV 本名、ハロルド・サイモン・ベルスキー、マサチューセッツ州ホリヨーク生まれ。家族でロスアンジェルスに移住したのち多数のセッションに参加。 60年代初期は、まだロックンロール、ポップのレコーディングはミュージシャンたちの間で見下ろされていたが、ギャラはよかったので、腕のいいミュージシャンたちはスタジオの仕事をこぞってするようになった。 譜面が読め、ほぼ一回の指示でレコーディングができるうまさを持っているミュージシャンはそれほど多くなかったため、いつもスタジオで顔をあわせる連中はほぼ同じような連中ばかりになっていた。 そうした連中がいつしか、「レッキング・クルー」と呼ばれるようになる。直接的な意味は「解体作業者」のグループ。音をそれぞれの楽器ごとに録音したり、それぞれがそれぞれの持ち場で仕事をするために、こう呼ばれるようになった。 メンバーが固定するというより、当時のロスのスタジオ・シーンで活躍していた連中のゆるい集合体だ。なので、何人いたかという質問に人によって答えが違ってくる。ただ、それでも20人から30人ほどはいたとみられている。 ハル・ブレインはドラマーのアール・パーマーとともに2000年にロックンロール殿堂入りを果たした。 ハル・ブレインはスタジオ・シーンで活躍するまえに映画音楽業界で仕事をしていて、そこからスタジオ・シーンの仕事をするようになった。その仕事をするとき、「せいぜい3コードくらいで録音し、難しいことはやらないこうした仕事を、金以外の目的ですることのモチヴェーションはなんだろう」と考えたという。「モチヴェーション(目的、動機)は何か、と考えたとき、楽曲だと思った。そして、楽曲とは何かという問いに行き、それはストーリー(物語)だとなった。若い名もないシンガーがソフトな曲を歌うときに、派手にやりすぎる必要はない」 そうしたクリエイティヴなことが徐々にモチヴェーションになっていった、という。 フィル・スペクター、ビーチ・ボーイズの『ペットサウンズ』など参加名盤多数。1960年代のアメリカン・ポップスの多数でドラムスを担当。 レッキング・クルーには、ドラムスのハル・ブレインのほか、グレン・キャンベル、レオン・ラッセル、キャロル・ケイ、トミー・テデスコ、ジョー・オズボーンら約2-30人がいた。 ロスで録音されるポップ・レコードの多くに起用された。ヒット曲、たとえば、ジャン&ディーン、ソニー&シェール、ライチャス・ブラザーズ、ママス&パパス、フィフス・ディメンション、フランク・シナトラ、ナンシー・シナトラなど無数のヒットに参加した。 全米ナンバーワン40曲、トップ10ソング150曲でドラムスを担当、6年連続でグラミー賞「レコード・オブ・ジ・イヤー」を獲得。 6年連続曲は次の通り。 Herb Alpert & the Tijuana Brass in 1966 for "A Taste of Honey"Frank Sinatra in 1967 for "Strangers in the Night"The 5th Dimension in 1968 for "Up, Up and Away"Simon & Garfunkel in 1969 "Mrs. Robinson"The 5th Dimension in 1970 for "Aquarius/Let the Sunshine In"Simon & Garfunkel in 1971 for "Bridge over Troubled Water" このほかに、これも獲得。 Catain & Tennille in 1976 for “Love Will Keep Us Togther” ただ60年代、70年代はスタジオ・ミュージシャンはあくまで裏方だったので、一般的知名度はなかった。 1960年代から80年代にかけて膨大な量の仕事をこなし、一時期は豪華な家、ヨット、ロールスロイスまで持っていたが、離婚を機にすべてを失い、一時期はアリゾナで昼間の仕事をしてしのいでいた。 その後、1990年、自伝『ハル・ブレイン&ザ・レッキング・クルー』を出版。これを機に少しずつ再注目されるようになり、2008年には映画『レッキング・クルー』が制作された。これは2015年全米公開され、その後日本でも公開された。 『レッキング・クルー』映画(2008/2015)→https://goo.gl/KmSAMT (スペイン語の字幕w)(約1時間42分) ここでも語られているように、1970年代に入ると、いわゆるスタジオ専門のミュージシャンの需要が、アーティストたちが自分たちで歌い、演奏するようになり(セルフ・コンテインド=自給自足)減ってきた。 しかし、1960年代から70年代、80年代にかけてのアメリカン・ポップの歴史の中におけるレッキング・クルーの面々の重要性ははかりしれない。 ~~~ 代表曲のひとつ、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」→https://t.co/LImcDTN4cc ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」は https://goo.gl/DyNDGf スネアをダンダンダンと3回叩くが、予定では2回だったがスティックを落として音が入ってしまいそのまま残したところ、この手法がちょっと流行りになってしまった話等→https://t.co/mpVCM5PnO5 ~~~ サム・クックの「アナザー・サタデイ・ナイト」もハル・ブレイン→https://goo.gl/cG2k5w だが、サムの「トゥイスティン~」はエディー・パーマーという別のレッキング・クルーのレジェンド→https://t.co/obOq7g99vR Hal Blaine (Feb 5, 1929 - March 11, 2019, 90 year old) なんと気づいたのだが、彼の大ファンである山下達郎さんと誕生日が一日違い。達郎さんは1953年2月4日。 #sundaysongbook ~~~ ひじょうに興味深い動画。ドン・論ばルディーが司会のドラマー、3人を集めたトーク。チャーリー・ワッツ、ジム・ケルトナー、そして、ハル・ブレインの3人が語る。 Hal Blaine Roundtable (Episode 1)https://www.youtube.com/watch?v=aSDDzOWxkWs ~~~ ハル・ブレインが叩いた作品の一部。(ウィキペディアより) https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_recordings_of_songs_Hal_Blaine_has_played_on Selected performancesBlaine played drums on the following recordings that hit number one on the Billboard Hot 100: "Johnny Angel" – Shelley Fabares[17]"He's a Rebel" – The Crystals[2]"Surf City" – Jan & Dean[18]"I Get Around" – The Beach Boys[5]"Everybody Loves Somebody" – Dean Martin[5]"Ringo" – Lorne Greene[19]"This Diamond Ring" – Gary Lewis & the Playboys[19]"Help Me, Rhonda" – The Beach Boys[5]"Mr Tambourine Man" – The Byrds[2]"Eve of Destruction" – Barry McGuire[20]"My Love" – Petula Clark[19]"These Boots Are Made for Walkin'" – Nancy Sinatra[5]"Monday Monday" – The Mamas & the Papas[5]"Strangers in the Night" – Frank Sinatra[5]"Poor Side of Town" – Johnny Rivers[21]"Good Vibrations" – The Beach Boys[5]"Somethin' Stupid" – Frank & Nancy Sinatra[5]"The Happening" – The Supremes[22][1]"Windy" – The Association[5]"Mrs. Robinson" – Simon & Garfunkel[5]"Dizzy" – Tommy Roe[19]"Aquarius/Let the Sunshine In" – The 5th Dimension[5]"Love Theme from Romeo and Juliet" – Henry Mancini[19]"Wedding Bell Blues" – The 5th Dimension[19]"Bridge Over Troubled Water" – Simon & Garfunkel[19]"(They Long to Be) Close to You" – The Carpenters[5]"Cracklin' Rosie" – Neil Diamond[5]"I Think I Love You" – The Partridge Family[19]"Indian Reservation" – The Raiders[19]"Song Sung Blue" – Neil Diamond[5]"Half Breed" – Cher[19]"Annie's Song" – John Denver[19]"Top of the World" – The Carpenters [5]"The Way We Were" – Barbra Streisand[5]"Thank God I'm a Country Boy" – John Denver[5]"Love Will Keep Us Together" – Captain & Tennille[5]"I'm Sorry"/"Calypso" – John Denver[19]"Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)" – Diana Ross[19] 日本語サイト・アマスでの簡単な記事→ http://amass.jp/118062/ ~~~ OBITUARY>Blaine, Hal (Feb 5, 1929 – March 11, 2019, 90 year-old)   -0200
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